Armi Ratia
アルミ・ラティア

アルミ・ラティア(1912~1979年)はカレリア地方のパルカヤルヴィ(現在はロシア領)に生まれました。商店店主の父と学校教師の母のもとに生まれ、ヘルシンキの学校に通っていました。1935年の春に学校を卒業すると、テキスタイルアーティストとしてのキャリアをスタートさせました。同年、ヴィリヨ・ラティアと結婚します。

後に続く礎となる大転機を迎えたのは1949年のこと。夫ヴィリヨのオイルクロスファブリックプリントの会社、プリンテックスの仕事に携わることになり、これまでになかった色鮮やかで大胆な柄の生地を作りだしたことでした。2年後にはマリメッコが誕生。プリンテックス社の生地は洋服にも使えるということを見てもらうのが、ヴィリヨとアルミの狙いでした。当時は戦後の復興期、まだまだフィンランドは苦しい状況を強いられている時です。見渡せば灰色の風景の中で、プリンテックスとマリメッコは、人々が切望していた色彩や日常の喜びをもたらしたのでした。

アルミのマリメッコでの影響は多岐にわたるものでした。テキスタイルデザイナーとして、発言者として、アーティスティックディレクターとして、経営者として、人脈のフィクサーとして、先見者として、インスピレーションを与える人として、影響を与えてきたのです。時代を読み取り、次に何がくるのかを感じ、才能を見出し、可能性は無限という。夢物語に思えるようなことすら現実にする方法を、自ら生み出すことのできる人物でもありました。柔軟な思考の持ち主で、ありふれたものも、見方次第でどうにでもなることをよく知っていました。


マリメッコの成功は、いまでもアルミが実践してきた哲学の上に成り立っています。マリメッコは自分に寄り添う美しい日常である。そのアルミの方針によりマリメッコは注目され、ライフスタイル、自分の生き方に寄り添ってくれる存在となり、マリメッコは生活に根付く存在へと成長していきました。